歴史について
海島寺について
当山、龍巌山海島寺は今より六百余年程前の南北朝時代後期の1380年(永徳2年)に甲斐武田家11代当主信成公の四男・十郎武続公が東郡栗原(現在の山梨市)に拠り栗原氏と称し、ここ海島寺を建立し、先祖の菩提の祈願所とした。
その後、武田信虎公の伯母・宝山玉長老尼が尼寺として再興し、2世も信玄公の伯母・天徳祖瑞長老尼が後を継ぎ、その後も武田家有縁の姫君が尼僧となり11代続いた。
また、当時は寺名の漢字も異なり、寺域に桃樹が多かったことから「開桃寺」と称していたが、徳川家康公が甲斐国の視察に見えた時に氾濫原でもあった日川が氾濫し、山の上から見られた時に境内がやや高く造られていた「開桃寺」だけが海の島のように浮かんでいたことより、「海島寺」に改名したとされている。
この縁により、武田家没落後も徳川家より庇護を受けることとなり、また、宝永4年(1707年)柳沢吉保の命により信虎公の弟・大泉寺2世吸江英心大和尚を勧請開山として尼寺から僧寺に改め、今日では尼寺に至る。
![納骨堂について](/images/history/history_img03.png)
曹洞宗について
開祖 | 永平道元禅師(1200〜1253) |
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本山 | 両大本山 ・福井県“永平寺” ・神奈川県“總持寺” |
曹洞宗とは
今から八百年ほど前の鎌倉時代に、永平寺を開かれた道元禅師様が正伝の仏法を中国から日本に伝え、總持寺を開かれた瑩山禅師様が其の教えを全国に広められ、“曹洞宗”の礎を築かれました。又、このお二方を両祖とし、ご本尊にインドで仏教を開かれた「お釈迦様(釈迦牟尼仏)」を中心として、「一仏両祖(いちぶつりょうそ)」として祀られています。
宗旨
曹洞宗は、お釈迦様より代々祖師方によって脈々と相続されてきた“正伝の仏法”を依りどころとする宗派です。それは“坐禅”をメインとした教えを寄りどころとし、坐禅の実践によって身体と心のやすらぎ得ることができ、又、仏の姿を真似することによって、真似するところからも学びます。
そして坐禅の精神は日々の生活と言えます。歩くこと、寝ること、食事を食べるのと作ることなど全てが坐禅の一部と言えます。